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面白いなと思ったり調べたりしたことを書けたらいいなと今の時点ではそう思っています

書評:すべてはモテるためである(二村ヒトシ)

國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」がとても良かったので、関連書籍をあさっていたらヒット。

本書のオリジナルは98年に書かれており、2012年に加筆、タイトルが変更となり再出版された際に、

著者二村ヒトシ氏と國分氏の対談が巻末に新たに収録されていたため、関連書籍としてヒットしたみたい。

 

キャッチーなタイトルはいかにも「モテるためのHow To」が書かれていそうだが、

具体的な方法が列挙されている、というよりも、

各人がそれぞれの「モテ」にたどり着くための、個別の考え方が示されていて、

「この本も含め恋愛マニュアル本なんてそのまま真に受けんなよ」という正直な姿勢が貫かれてていい感じだ。

 

具体的な「モテ」へたどり着く方法については、本書ではモテない人のパターンを「臆病」と「バカ」という軸で分類したうえで、

それぞれに対する処方箋がかかれているが、

前半部のまとめにある、

 きっと人間は、他人から『あなたは、そんなにキモチワルくないよ』って、保証してほしい(pp. 101) 

 というのが、非常に的を射ていると感じた。

ここでいう「キモチワルい」というキーワードは、この本を通して使われるキーワードだけど、あまり明確に定義付けはされていない。

ただ、モテない人というのは「キモチワルい」人である、というのが序盤に示されていて、

さらに、解説で上野千鶴子は、「キモチワルい」は「キモチイイ」の対語である、と理解していて、なるほど感がある。

で、そう捉えると、結局この本は、人間の生理的欲求であるところの「モテ」を主題におきながらも、もっと幅広く「他人から承認されること」の技術、心構えを説いている、と考えることができるのではないかと。

 

さて、この本が主張している「モテる」ための真髄は、敢えて抽出してしまうとすごい月並みなんだけど、

「相手を1人の固有の人間であると認識、理解して、自分もまた1人の固有の特徴をもった人間であるということを自覚して、それを素直に謙虚に伝えてこうぜ」

ということになるかと。

 

で、これがすごい面白いんだけど、著者が提案している具体的方法として、「あなたの中のスーパー戦隊みたいなの」を意識せよ、といっている。

ギラギラキャラのレッドや、クールなキャラのブルー、とか。

相手との関係性・距離感のなかで、自分が持ってるキャラを使い分けて出していこうぜ、という。

「相手によってコミュニケーションの方法を変えるとか当たり前やろ」と思うかもしれないが、

その実践の方法として「自分の中に複数のキャラを揃えよ」というのが画期的に思える。

自分もそうだが、小手先のコミュニケーション上のインターフェースは変えられても、

根本のキャラクターの部分を使い分ける、といった意識まで到達することはなかなかないように思う。

もちろん、無い袖は振れないので、自分が演じることができるキャラクターのバリエーションの範囲内で、ということにはなるだろうが。

 

で、さらに面白いのは、そのスーパー戦隊の中にいる「モモレンジャー」を見つめよ、というところ。

どういうことか。

それは別に自分の中にもオカマっぽいところがある、とかいう話ではなくて、

自分の中の「モモレンジャー」、それはつまり自分にとっての「理想の女性」だと。

「理想の女性」を、自分のスーパー戦隊の1人として捉える、つまりそれを自分自身として捉えるときになにが起きるかというと、

「理想の女性」を他人として外側から観察するんではなくて、内側から観察できるようになる。

そうすると、「理想の女性」が、何を考え、何を求めているかがわかる。なぜなら自分自身の視点から見ているからだ。

自分が誰かを好きになるというとき、その相手は、自分のモモレンジャーのどこかが重なりあっている。

自分のなかのモモレンジャーを意識することで、文字通り、「相手の気もちになる」ことができるようになる、と。

 

画期的なたとえだ。今世紀聞いた中で3本の指に入る画期的なたとえ。

「よく出来てんな〜」って声に出たもんね。出てないけど。

 

なんにしても、この本を読んだからといって直ちに「モテる」ようになるわけでは決してないが、

少しおおげさかもしれないが、しかし真面目に、「善く生きる」ための具体的なヒントを得られたのではないかと思う。おおげさだ。